構成論。
こんちわ
『構成論。という名のトークライブ』を見てきました。村田陽一さんと宮川賢さんの、音楽をつくることと演劇をつくることの共通点、相違点から、お互いの構成の仕方について論じるというトークライブ。音楽を全然聴かなくなって久しいのに、村田陽一さんの話なんて、私には勿体ないかぎりではあるのですが。チケットが完売していたので、すげー、と思ってたけど、レ・サマースタジオって、MAX40人位しか入らない所なんだね・・・
演出家と音楽家のトークライブ。始めから、『絵画や彫刻とは違って・・・』という話だったので、ためになるかどうかは、さて置いて、楽しんできました。演劇や音楽には“時間軸”が存在する。絵に有るか無いかといったら、私は“有る”と思う(し、少なくとも私は意識している)けれど、知覚出来るレベルは、映像なんかに比べると確実に低い。まして見る側はその分野を勉強していない人の方が多い。写真より映画、イラストレーションより漫画と、時間軸を有する物のほうが、よりキャッチーで、より受けとるがわに受け入れられ易いという、嫉妬みたいなものを再確認しました。
そのまま2219というインターネットラジオの生放送に移ったのですが、放送中には生で演奏もあったりで、前に『放送禁止』の時にも書いたけど、今や何事もライブのほうが面白いのではないか!? と考えてしまう。ぶつぶつ編集して面白いところだけをとったテレビより、生放送で流れや伏線、くり返しや間を使えるラジオの方が、実直に面白く感じる、これもライブならではだと思う。小さい頃にチラシの裏に絵を描いていて、どうしたら印刷したような“本物感”が出るのだろう、などと考えていたが、それが編集であり、構成であり、マスタリング(?)だったりする訳で、世の中にこれだけ商業が発達すると、変に常識やらセオリーやら、当然スポンサーとの兼ね合いで、クオリティの薄まったものになってしまっている。“本物”が欲しかったのに、気づいたら、世の中“本物”でないものの方が高尚になってきてしまったのではないかなぁ、という懸念も感じたりします。しかし、イラストレーションはあくまで“本物”でないといけないと思うのです。ラジオは、すべったところも流れてしまう。もちろん後でフォローはできるが、それもライブでやることで、テレビではそれを物理的に消すことができる。絵画は素描も習作も展示するけれど、イラストレーションは、そこにデザインされるものだから、未完成と言うものが許されない(未完成“風”はアリだが)。タッチや画風が荒くても、質として粗いイラストレーションはないはずである。そういう意味では、常に“本物”を目指すことをやめてはいけない気がする。
と、まぁ、トークライブの内容にはふれず、何でも自分のやってることに結びつけて考えてみるわけです。そもそも、今回このライブに興味を持ったのは、カンジンスキーの著書『点・線・面』の中に、線と音楽の類似性を説いたものがあって、今回のチラシを見たときにこの本をふと思い出しました。何事も相通ずるものがあるのではないか。そう思ったら何でも見ておいてソンはないかもしれません。
“ぶつぶつ編集して面白いところだけをとったテレビ”と言うフレーズを書いたところで、他に書こうと思っていたことを思い出したので、そのうち書きます。書きたいことがたくさんあります。
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