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2009年3月30日 (月)

だんしじょし

こんちわ

物事を発表するときは、言い切ってしまった方がキャッチーに成ると聞いたことがあるので、こんな、見ている人が殆どいないブログでも、こうだからこう思うんだ! といいきってしまった方が良いのかなぁ、と思うこの頃。曖昧さが日本人の美徳だからか、単に私の性格故か、余りはっきり物事を言わないのでいろんな所で軋轢を生じさせている私ですが、それはさておき、今回はちょっと前からモヤモヤしていた考えに、なんとなく答えが出たのかんじなので書いてみます。それは、“最近、女は強くなったのか?”と言うこと。

“最近、男が弱くなったのか?”と、表裏な問いでもあると思います。確かに、世の中が便利になって、十分に世の中で女の地位も向上したと思います。それによって、男が活躍しにくい。機械化により肉体労働から解放されたので、多くの職業が事務・デスクワーク・営業が中心に成りつつある。当然、男の肉体敵アドヴァンテージの価値は低下した。これは、小柄の男や痩せた男が多くなったことでよく判る。一般的に、女の方がコミュニケーション能力に長けていると言われているので、営業・事務などでも、十分に男性より活躍出来るのである。以前にも書いたかと思うのですが、去年、久しぶりに制作された『次郎長三国志』を観ました。良くも悪くも時代劇、監督はマキノ雅彦。所謂、古い時代の時代劇も、今の時代の時代劇も知っている人だと言えましょう。
ここでひとつの仮定する。男は昔と変わっていないのではないかと。『次郎長三国志』の中に出てくる男性像は、もしかしたら、今の男性像と変わらないのではないかと思う。ヘンなところで狡猾で、ヘンなところで潔い。情けなくて、かっこつけていて、それで居て格好悪い。・・・社会のあり方が変わってしまってはいるけれど、根本的にある、男のダメーな所を十分に描いています。そして、マキノ監督の描く女は、それを十分に理解している。情けない鶴吉の死を聞かされたとき、鶴吉の女房は次郎長親分に、『鶴吉は男に成れたのか?』と訊く。ぶっきらぼうな女房だったが、鶴吉の男を上げたい、と願っていた。次郎長一家は誰しも、男を上げることに必死になり、その女房たちも、何とかその助けになろうとしていた。それは、この時代の女が、男の弱さ、情けなさを十分に理解して肯定した上で、何の役にも立たない“男を上げる”ということの手助けするしていたのだと思う。つまり、ある程度男性の本質というものを理解していたのではないか。そして、男も女も、お互いに高め合っていく関係を築いていける関係になっていた時代なのではないかと思うのである。そういう意味では、もしかすると、“いい男”を夢見て探し求めている今の女は、もしかすると以前より、自分と釣り合う相手を求めることで、自己を中心に考え、異性を見る。能力的には、男より女の方が上なので、当然女性目線ので見れば、男は自分より下のラインにいる存在。それが“強く”成ってしまった、と感じる原因なのではないかと思うのです。もし、そうだとしたら、今の女は異性を理解できない、少し鈍くなってしまっているのではないかと思うのです。まぁ、裏返して言うならば、女を磨きたい、という、今の時代の女が持っている感情に、男は配慮が足りないとも言えるのですが。

まぁ、個人的意見としては、男性を男、女性を女、と呼ぶのは好きではないです(今回はあえて書きましたが)。それは、男女平等という思想に反するから。かなり馬鹿な意見だと自分でも思っていますが、“イイ男”、“イイ女”というフレーズは、ダメな言葉だと思います。世の中(ほぼ建前ですが)男女平等を謳っているにもかかわらず、男性が“イイ男”をめざし、女性が“イイ女”をめざす。つまり、自分の性と、異性を完全に分ける考え方だと思うのです。目指すなら“イイ人間”を目指すべきで、男・女を掲げること自体に、男女平等を遂行する石を持っていないのではないかと思うのですが、いかがでしょう。
なにかの車のCMに、格好いい車が好きだ、男だから、というキャッチフレーズ(アバウト)があったが、どうしようもないなと思う。社会に、子どもに男女平等を訴えていくならば、建前でも、絶対に男女が不平等だと判っていても、決してこういうフレーズを使うべきではないのではないかと思うのです。

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